はじめに
ワインというと、輸入に携わってきたこともあり、海外へ目が向きがちです。
フランスやイタリアには長い歴史を持つ産地があり、原産地呼称制度があり、畑や品種について細かなルールがあります。
それに比べて日本は、産地や品種を示す制度も整っておらず、気候環境もワイン造りには向いていないのかも――そんな印象を持っていました。
その印象が少し変わるきっかけになった出来事があります。
2010年代半ば、ブルゴーニュの老舗ワイナリー「ドメーヌ・ド・モンティーユ」が、北海道でワイン造りに乗り出すというニュースを聞いたときです。
「ブルゴーニュの、あの生産者が、なぜ北海道で?」
少し意外に感じたことを覚えています。
それから約10年。
あらためて日本ワインを取り巻く動きを振り返ってみると、その間に変わったのは、ワインの品質だけではありませんでした。
表示制度が整い、ワイナリーが全国に広がり、各地で産地づくりが進みました。
研究機関や自治体による支援も広がり、海外で経験を積んだ人たちが日本のワイン造りに関わる一方、海外の生産者が日本でぶどうを育てる例も現れています。
この十数年、日本ワインを取り巻く環境には、いったい何が起きていたのでしょうか。
「日本ワイン」を語るための土台が整った
この十数年の変化を振り返ると、まず目につくのが、日本ワインをめぐる制度や表示ルールの整備です。
その動きは、2010年代に入る頃から少しずつ形になっていきました。
2010年には、日本固有のぶどう品種「甲州」がOIV(国際ブドウ・ワイン機構)の品種リストに登録されました。
これによって、EUへ輸出するワインにも「Koshu」と品種名を表示できるようになりました。
2013年には、日本のワインとして初めて「山梨」が地理的表示(GI)に指定されます。
そして、大きな転換点の一つとなったのが2015年です。
国税庁はこの年、「果実酒等の製法品質表示基準」を制定しました。
ここで「日本ワイン」は、国内で収穫されたぶどうのみを原料として、国内で製造されたワインとして明確に定義されました。
この表示基準は2018年10月30日から適用され、日本ワインには「日本ワイン」と表示することが義務づけられました。
産地名、ぶどう品種、収穫年を表示する場合のルールも整えられています。
それまで「国産ワイン」と呼ばれていたものの中には、輸入濃縮果汁や輸入ワインを原料とするものもありました。
そのため、日本で収穫されたぶどうから造られたワインと、その他の国内製造ワインを、表示から区別できるようになったことには大きな意味があります。
国税庁も、この表示基準について、国際的なルールを踏まえた表示を整備するとともに、消費者の商品選択に資するため表示を明確化するものと説明しています。
「日本ワインとは何か」を説明するための共通の土台が、ようやく整ったともいえるでしょう。
「日本ワイン」という名称がどのように生まれたのか、産地・品種・収穫年を表示するためのルールについては、こちらの記事で詳しく紹介しています。

「日本ワイン」から「産地のワイン」へ
もう一つ大きく変わったのが、産地を意識したワイン造りです。
ワインのGIは、2013年の「山梨」に続き、2018年に「北海道」、2021年には「山形」「大阪」「長野」が指定されました。
GIは、単に「その地域で造られたワイン」であることを示す制度ではありません。
その地域に主として帰せられる酒類の特性があり、原料や製法などについて定められた生産基準を満たすことで、その産地名を地理的表示として使用することができます。
つまり、日本ワイン全体を一つのカテゴリーとして見るだけではなく、
「山梨のワイン」
「北海道のワイン」
「長野のワイン」
という、それぞれの土地とワインとの関係を考える段階へ進んできました。
その動きは、GIだけではありません。
長野県は2013年に「信州ワインバレー構想」を策定し、桔梗ヶ原、日本アルプス、千曲川、天竜川の4つのワインバレーを中心に、産地形成を進めてきました。
構想策定時の2013年3月には25場だった県内のワイナリーは、2023年1月には71場になっています。
ここで興味深いのは、ワイン産地が、生産者だけによってつくられているわけではないことです。
産地づくりには、地方自治体も関わっている
ワインは、行政の中でも少し特殊な存在です。
原料となるぶどうは「農業」ですが、ワインになれば「製造業」でもあります。
さらに、地域ブランド、販路開拓、観光、輸出などにもつながります。
そのためワイン振興には、農業部門だけではなく、産業振興や観光など複数の行政分野が関わることがあります。
長野県の「信州ワインバレー構想」は、その分かりやすい例です。
ワイン用ぶどうの栽培、新規参入、醸造技術、ワイナリー経営、生産者間の連携、観光、プロモーションなどを、県や市町村、生産者、経済団体、学術機関などが連携して進めています。
国税庁が表示やGIなど全国共通の制度を整える一方で、その制度を使いながら、実際にどんな産地をつくるのかは、それぞれの地域の取り組みによるところも大きいのです。
同じ日本ワインでも、山梨、長野、北海道などで、産地の成り立ちや見せ方が異なるのはそのためでもあります。
造る人と、造る場所も増えた
こうした動きと並行して、ワイナリーそのものも全国へ広がっています。
国税庁が2026年3月に公表した調査によると、2024年中にワインの生産または出荷実績があったワイナリーは全国519場。
都道府県別では、山梨85場、長野81場、北海道69場で、この3道県だけで全国の約45%を占めています。
一方で、山形、岩手、新潟をはじめ、全国各地にもワイナリーが存在します。
こうした小規模なワイナリーの誕生を後押ししてきた制度の一つに、いわゆる「ワイン特区」があります。
通常、果実酒の製造免許には年間6キロリットルの最低製造数量基準がありますが、構造改革特区では、地域の特産物として指定された果実を原料とするなど一定の要件を満たせば、この基準が2キロリットルに緩和されます。
年間6キロリットルを造ることを前提としなくても製造免許を取得できるようになったことで、地域のぶどうや果実を使った小規模なワイナリーにも参入の可能性が広がりました。
もちろん、ワイナリーを造ろうと思っても、製造数量の要件が緩和されれば、それだけでワインを造れるわけではありません。
栽培技術、醸造技術、農地、設備、資金、そして人材が必要です。
そこで各地では、新規参入者の育成や技術支援、ワイン用ぶどうの生産拡大など、ワイナリーが地域に根付くための仕組みもつくられてきました。
ワイナリーの増加には、日本ワインへの関心の高まりだけでなく、こうした規制緩和や、産地側が新しい造り手を受け入れる環境を整えてきたことも関係しています。
ワイナリーが増えれば、それを扱う酒販店にとっても選択肢は広がります。ただし、日本ワインには輸入ワインとは異なる仕入れ事情もあります。

技術を支えた研究と、「外」で学んだ人たち
日本ワインの変化を考えるとき、もう一つ見落とせないのが、研究と人材です。
大学や公設試験研究機関、農業研究機関などでは、ぶどう品種、栽培方法、病害、醸造技術、気候と栽培適地などについて研究が続けられてきました。
一方、ワイン造りの技術は、研究機関の中だけで蓄積されたものではありません。
日本人の栽培家や醸造家が、フランス、ドイツ、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカなどへ渡り、大学で栽培・醸造を学んだり、現地のワイナリーで収穫や醸造を経験したりすることも珍しくなくなりました。
海外で経験を積んだ人が日本へ戻り、ワイナリーを設立したり、国内のワイナリーで栽培や醸造を担ったりする例もあります。
また、業界団体などを通じて、海外の栽培・醸造技術を学び、国内の造り手同士で知見を共有する機会も設けられてきました。
日本ワイナリー協会が継続して開催してきた「醸造技術者のためのワークショップ」なども、その一例です。
日本から海外へ学びに行き、そこで得た知識や経験が、さまざまな形で日本の産地へ戻ってくる。
こうした人の移動も、日本ワインを支える技術の一部になっています。
世界との関係も、一方向ではなくなった
かつて、日本の造り手にとって海外は「学びに行く場所」であり、日本ワインにとっては「輸出し、評価してもらう市場」という面が強かったかもしれません。
甲州のOIV登録も、国際市場で品種名を表示してワインを販売するための重要な一歩でした。
ところが、その関係にも少し変化が見られます。
その一例が、冒頭で触れたドメーヌ・ド・モンティーユです。
同社は2016年に「de Montille & Hokkaido」プロジェクトを始動し、2019年から函館でぶどうの植樹を開始しました。2023年には自社畑で初収穫を迎え、ワイナリーも完成しています。
ただし、この進出を単純に、「ブルゴーニュの生産者が日本ワインの品質を認めた」と捉えるのは少し違うでしょう。
北海道が公表している資料によれば、背景には、本拠地ブルゴーニュで土地価格や気候の変化などから生産拡大が難しくなっていたこともありました。
その一方で、当主エティエンヌ・ド・モンティーユ氏が、自身の目指すワイン造りを実現できる可能性を北海道に見いだしたことも、進出理由として挙げられています。
つまり、ブルゴーニュ側の事情と、北海道という土地の可能性。
その両方があったということです。
日本人が海外へワイン造りを学びに行く一方で、海外の生産者が日本へやって来て、その土地でぶどうを育てる。
ワインをめぐる人と技術の流れは、少しずつ双方向になっています。
北海道では、気候そのものも変わっていた
北海道でワイン産地が広がった背景には、もう一つ見逃せない要因があります。
気候変動です。
農研機構の研究では、1998年頃の気候シフト以降、余市町や三笠市など北海道の代表的なワイン用ぶどう産地で、4月から10月の平均気温が14℃以上となり、世界のピノ・ノワール産地でみられる14~16℃という温度帯に入るようになったことが示されています。
かつて北海道では栽培が難しいと考えられていたピノ・ノワールが、各地で栽培されるようになった背景の一つとして、こうした気候の変化が指摘されています。
もちろん、気温が上がれば自動的に良いワインができるわけではありません。
冬の寒さ、霜、降水量、病害など、ぶどう栽培にはさまざまな条件があります。
また、温暖化が将来にわたって産地に有利に働き続けるとも限りません。
それでも北海道の変化を考えるとき、造り手の努力や技術だけでなく、ぶどうを取り巻く自然条件そのものが変化してきたことも、一つの要因として見る必要があります。
この十数年、何が起きていた?
ここまでの主な動きを、時系列で簡単に並べてみます。
| 年 | 主な動き |
|---|---|
| 2010 | 甲州がOIV登録 |
| 2013 | GI山梨/信州ワインバレー構想 |
| 2015 | 「日本ワイン」の表示基準を制定 |
| 2016 | ド・モンティーユが北海道プロジェクトを始動 |
| 2018 | 表示基準の適用開始/GI北海道 |
| 2021 | GI山形・大阪・長野 |
| 2024 | ワインの生産・出荷実績があるワイナリーが全国519場 |
年表にすると制度の変化が目につきますが、その間にも、各地でワイナリーが増え、自治体による産地形成や人材育成、栽培・醸造技術の研究、海外との交流が進んできました。
こうして見ると、一つの政策、一人の生産者、一つの研究成果によって日本ワインが変わったわけではありません。
国の制度、地方自治体の産地政策、生産者、研究、人材、海外との交流、そして気候。
いくつもの変化が、同じ時期に重なっていました。
「増やす」だけではない、次の段階へ
そして現在、日本ワインはまた次の段階に入りつつあります。
たとえば長野県は、2013年から進めてきた信州ワインバレー構想を発展させ、近年はワイナリーやワイン用ぶどうを増やすだけでなく、高品質化やブランド価値の向上、持続的な産地形成に力を入れています。
ワイナリーが増えれば、それで産地が完成するわけではありません。
- 良質な醸造用ぶどうをどう確保するのか。
- 栽培・醸造を担う人をどう育てるのか。
- その土地らしいワインとは何なのか。
- 地域としてその価値をどう伝えていくのか。
- 変わり続ける気候にどう対応していくのか。
日本ワインを取り巻く課題も、単にワイナリーの数を増やす段階とは違うものになってきています。
まとめ:日本ワインは、次の10年へ
この十数年を振り返ってみると、日本ワインを取り巻く環境の変化は、一つの理由で説明できるものではありません。
そして今、ワイナリーを増やすことから、それぞれの土地でどんなワインを造り、どんな産地になっていくのかを考える段階へ、日本ワインは少しずつ移りつつあります。
この先の10年で、日本の各産地がどんな個性を見せていくのか。
これまで海外のワインに向けることの多かった目を、もう少し国内にも向けてみたいと思います。
日本ワインの制度や造り手の変化を見てきましたが、日本の「ワイン産地」は、どのように生まれるのでしょうか。
こちらの記事では、新潟、宮崎、福井、長野などの例から考えます。

参考資料
本記事の作成にあたっては、主に次の資料を参照しています。
- 国税庁「『果実酒等の製法品質表示基準』について」
- 国税庁「酒類の地理的表示(GI)」
- 国税庁「酒類の地理的表示一覧」
- ド・モンティーユ&北海道「de Montille & Hokkaido Project」
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