【ワインの文化史】日本人はどんなワインを飲んできた?―甘い葡萄酒から、ワインが日常のお酒になるまで

1980年代に流行った輸入ワインのイメージ
目次

はじめに

日本人は、いつからワインを普通に飲むようになったのでしょうか。

日本で本格的なワイン造りが始まったのは明治時代です。
ところが、造り始めたからといって、日本人がすぐに現在のようなワインを飲むようになったわけではありません。

最初に広く親しまれたのは甘い葡萄酒。その後、少し甘口の輸入ワイン、千円ワイン、ボジョレー・ヌーヴォー、赤ワイン、チリワイン……と、時代によってワインへの入口は変わってきました。

日本では、これまで何度も「ワインブーム」が起きています。ブームはやがて去りましたが、そのたびに新しい飲み方や選び方が少しずつ残りました。

今回は、日本でワインが「造られてきた歴史」ではなく、日本人がどのようにワインを飲むようになったのかをたどってみたいと思います。

日本でワインを造っても、なかなか飲まれなかった

日本のワイン造りは明治時代に始まりました。

当時の政府も、新しい産業として葡萄酒に期待していました。

国税庁・税務大学校の資料によると、明治政府は、輸入酒の増加による外貨流出を抑え、国内産業を育成するため、ワインやビールの製造を税制面でも保護しました。

明治34年(1901年)に酒精及酒精含有飲料税法が制定され、薬用葡萄酒や甘味葡萄酒には課税されるようになりましたが、ぶどうそのものを発酵させて造る本格的な葡萄酒は非課税とされました。

ワインに初めて税が課されたのは、昭和13年(1938年)。
しかも、このとき課されたのは酒税ではなく物品税でした。

日本酒への酒税が国の重要な財源だった時代に、本格的な葡萄酒については産業育成のため課税しない時期があったというのは、少し意外に感じます。

ところが、税制面で後押ししても、ワインはなかなか日本人の日常には入りませんでした。

当時の日本の食生活には、酸味や渋味のあるワインを合わせる習慣がほとんどありません。
本格的なワインはなかなか受け入れられず、造られたワインも、甘口で飲みやすい甘味果実酒の原料として使われる時代が続きました。

日本でワインを造ることと、日本人がワインを飲むこと。

この二つの歴史は、必ずしも同じ歩みではなかったのです。

最初に親しまれたのは、甘い「葡萄酒」

そこで日本人に広がったのが、「薬用葡萄酒」や「甘味葡萄酒」と呼ばれる甘いタイプのお酒でした。

税務大学校の資料によると、明治期には、ぶどうを発酵させた本格的なワインよりも、輸入ワインに香料やアルコールなどを加えた薬用葡萄酒や甘味葡萄酒が多く造られていました。

その代表的な存在が、1907年に発売された「赤玉ポートワイン」です。

現在の「赤玉スイートワイン」の前身です。

サントリーの資料によれば、鳥井信治郎はスペインの商会が開いた試飲会でポートワインと出会い、その味に惹かれ、当初はそれをそのまま瓶詰めして販売しました。しかし、ほとんど売れなかったといいます。当時はまだ「葡萄酒=薬用」というイメージも強かったようです。

そこで、日本人の味覚に合わせ、アルコールの刺激を抑え、甘味と酸味のバランスを調整して生まれたのが赤玉ポートワインでした。商品は大きな成功を収めます。

現在の感覚では、ワインといえば、ぶどうを発酵させて造るものを思い浮かべます。

しかし、日本人が葡萄酒に親しむ入口となったのは、むしろ甘く、飲みやすく調整された葡萄酒だったのです。

なお、「赤玉ポートワイン」は1973年に「赤玉スイートワイン」へ名称を変更し、現在も販売されています。

戦時中、ワインは「飲むため」だけに造られなかった

日本人のワイン文化をたどるうえで、少し異色なのが戦時中です。

第二次世界大戦中には、ワインから採れる酒石酸が軍需物資として必要とされ、ワインの増産が奨励されました。

酒石酸から作られる「ロッシェル塩」は、音波を捉える性質を利用して、海軍の水中聴音機などに使われました。
1944年には、大蔵省が海軍の要請を受け、酒石酸を確保するためにワイン造りを奨励しています。

国税庁・税務大学校の資料によると、果実酒の課税数量は1944年度の約1,301万リットルから、翌1945年度には約3,420万リットルへと大きく増えました。

ただし、これはワインが飲み物として広く親しまれたためではありません。

日本でワインは造られていても、それがそのまま「ワインを飲む文化」の広がりを意味するわけではなかった。

戦時中のワイン増産は、そのことをよく表す出来事でもあります。

東京オリンピックと大阪万博―「普通のワイン」を飲む時代へ

長く続いた甘味葡萄酒中心の時代に変化が見え始めるのは、1960年代です。

1964年には東京オリンピック、1970年には大阪万博が開催されました。
海外との交流が増え、日本人の食生活も次第に洋風化していきます。

1964年の東京オリンピック頃からテーブルワインの消費が伸び始め、1970年の大阪万博を契機に、日本は最初のワインブームを迎えます。

そして、大きな転換点となったのが1975年です。
この年、ワイン、つまり果実酒の消費量が、初めて甘味果実酒を上回りました。

日本人が長く親しんできた「甘い葡萄酒」から、現在につながるワインへ。
消費の中心が入れ替わったのです。

最初は、少し甘くて飲みやすいワインから

もっとも、甘味果実酒からテーブルワインへ移ったからといって、日本人の好みが突然、渋味のある赤ワインや酸味のある辛口白ワインに変わったわけではありません。

1970年代には、比較的甘味があり、親しみやすい輸入ワインもよく飲まれるようになります。

たとえば、ドイツのリープフラウミルヒや、フランスのロゼ・ダンジュなどのやや甘口のワイン。
そしてポルトガルのマテウス・ロゼも、日本で広く知られる存在となりました。

甘味葡萄酒から、本格的なワインへ。

その間には、こうした「少し甘くて親しみやすいワイン」が、ワインに慣れていない日本人と本格的なワインとの距離を縮めた時代もありました。

「千円ワイン」―ワインが手の届くお酒になる

ワインが広がるためには、味だけではなく、価格も重要でした。

1978年には、1本1,000円前後のワインが注目され、いわゆる「千円ワイン・ブーム」が起こります。

さらに1981年には、一升瓶に入った地元産ワインなどが人気を集める「一升瓶ワイン・ブーム」が続きます。

値段や容器は違っても、ここで起きていたのは、ワインが少しずつ特別なお酒から、家庭でも楽しめるお酒へ近づいていく変化だったのでしょう。

ワインは、ホテルや高級レストランで飲む特別なお酒だけではなく、自分で買って、家でも飲めるお酒へと少しずつ変わっていきます。

1990年代になると、さらに低価格のワインも増えていきました。

ワイン文化の広がりは、「日本人がワインの味を分かるようになった」というだけでは説明できません。

手の届く価格になり、日常の中で買いやすくなったことも、日本人とワインの距離を縮めました。

ボジョレー・ヌーヴォー―ワインがお祭りになった

1980年代後半になると、それまでとは少し違ったワインブームがやってきます。

ボジョレー・ヌーヴォーです。🍷

1987年頃には、ボジョレー・ヌーヴォーが大きなブームとなりました。

ボジョレー・ヌーヴォーには毎年決められた解禁日があり、日本は時差の関係から、フランス本国より早く解禁を迎えます。

この「世界で最も早く今年の新酒を味わえる」という特別感も、日本での盛り上がりを後押ししました。

解禁日が近づくと酒売場には特設コーナーができ、ホテルやレストランでは午前0時の解禁を待って乾杯するイベントが開かれる。

ワインが、「どんな味なのか」を楽しむだけでなく、「解禁日そのものを楽しむ」お酒になった時代でもありました。

ワインが一つのイベントになったのです。

「イタ飯」―ワインが料理のそばへ

1980年代後半から1990年代にかけて、日本ではイタリア料理が身近になっていきます。

当時、「イタ飯」という言葉は、ちょっと気取った、お洒落なイタリア料理を楽しむ外食の代名詞のように使われていました。それまで「スパゲッティ」という呼び方が一般的だった日本で、「パスタ」という言葉が広く使われるようになったのも、この頃です。

パスタやピザと一緒にワインを飲む。🍝🍕🍷
そんな食卓のお供として親しまれたワインの一つが、軽やかな赤ワインのキャンティです。

キャンティといえば、かつては「フィアスコ」と呼ばれる、藁で包まれた丸いボトルを思い浮かべる人も多かったのではないでしょうか。

このころから、高級なフランス料理店で少し背伸びをして飲むワインとは違う、もっと気軽なワインとの付き合い方が広がっていきます。

ワインは次第に、「料理と一緒に楽しむお酒」として日本人の生活に入っていきました。

赤ワインブーム―今度の入口は「健康」

そして1990年代後半、日本のワイン市場は大きなブームを迎えます。

赤ワインブームです。

1997~98年頃には、赤ワインに含まれるポリフェノールが盛んに取り上げられ、「フレンチ・パラドックス」や地中海式の食生活なども注目されました。

赤ワインに健康的なイメージが重なり、それまでワインにあまり関心のなかった人まで赤ワインに手を伸ばすようになります。

1997年頃から赤ワインブームが広がり、ワインの消費量も大きく伸びました。国税庁統計を見ると、1997年度の果実酒販売数量約11万8千klから、1998年度には約14万9千klへと、約26%増加しています。

もちろん、これは当時、赤ワインがどのように受け止められていたかという話です。

飲酒と健康との関係については、その後研究や考え方も変化しています。
それでも当時、「ポリフェノール」や「フレンチ・パラドックス」といった言葉が、ワインに関心のなかった人まで赤ワインに目を向ける大きなきっかけになったことは、日本のワイン文化を振り返るうえで外せない出来事でしょう。

チリワイン―産地だけでなく「品種」で選ぶ

1990年代以降には、チリをはじめとするニューワールドのワインも身近になっていきました。

手頃な価格で、果実味が分かりやすく、ラベルには、

カベルネ・ソーヴィニヨン
シャルドネ
メルロー

など、ぶどう品種が大きく表示されたものも多くあります。

「どこの国のワインか」だけではなく、ぶどう品種から自分の好みを探す

そんなワインの選び方も次第に身近になっていきました。

そして2010年代になると、日本のワイン市場には、それまでの「○○ブーム」とは少し違う変化が見えてきます。

「家飲み」やワインバルも定着していきます。

1998年の赤ワインブームのように、一つの大きな流行が市場を動かすのではなく、家庭や飲食店で日常的にワインを楽しむ文化そのものが広がっていきました。

ワインは、ブームのときだけ飲むお酒から、少しずつ日常のお酒になっていったのです。

「何を飲むか」から、「どんなワインが好きか」へ

ワインが日常に入るにつれて、飲み手の関心も細かく枝分かれしていきました。

産地やぶどう品種だけではありません。

有機栽培など、ぶどうの栽培方法への関心。
できるだけ人為的な介入を抑えた醸造を志向する、いわゆる「自然派ワイン」への関心。

白ぶどうを果皮とともに醸すオレンジワイン
古くからワイン造りが行われてきたジョージアのワインや、各地の土着品種。

さらには、小さな造り手の畑での取り組みや、醸造の考え方そのものにまで関心が向けられるようになりました。

かつては、「ワインを飲んでみる」こと自体が新しい体験でした。

それが今では、「自分はどんなワインが好きなのか」を探すことも、ワインの楽しみの一つになっています。

ワインブームは、終わるたびに何かを残した

日本のワイン市場については、しばしば「第1次」「第2次」といったワインブームの区分が使われます。

ただ、この区分や年代は資料によって多少異なります。

大切なのは、「何年が第何次だったか」を厳密に決めることよりも、それぞれのブームの後に、日本人とワインの関係がどう変わったのかを見ることかもしれません。

千円ワインが広がれば、ワインは手の届くお酒になりました。

ボジョレー・ヌーヴォーが流行れば、ワインをイベントとして楽しむ人が増えました。

イタリア料理が身近になれば、料理と一緒に気軽にワインを飲む機会が増えました。

赤ワインブームでは、それまでワインを飲まなかった人までワイン売場へ向かいました。

そしてワインが日常に入ってくると、今度は産地や品種、造り手、栽培や醸造の考え方まで、自分なりの基準で選ぶ人が現れました。

一つ一つのブームは、やがて落ち着きます。

でも、ワインとの付き合い方まで、ブーム以前に戻ったわけではありません。

日本ワイナリー協会は、日本のワイン消費について、急激に伸びた後に足踏みしながら、「階段を少しずつ上るように」伸びてきたと表現しています。

振り返ってみると、その階段を一段上るたびに、日本人がワインを飲む理由も、楽しみ方も、少しずつ増えてきたように見えます。

まとめ――そして、その先に現在の「日本ワイン」がある

日本人がさまざまなワインを飲むようになった一方で、日本の造り手も長い時間をかけて経験を積み重ねてきました。

日本の気候に合ったぶどう品種を探し、栽培方法を工夫し、醸造技術を磨く。

1970年代以降、テーブルワインの需要が伸びるなかで、メルロやシャルドネなど欧州系品種の栽培も各地で進み、日本のワインが国際的なコンクールで評価される例も現れるようになりました。

2003年には「国産ワインコンクール」(現在の日本ワインコンクール)が始まり、各地の造り手を刺激するとともに、日本ワインが消費者から注目されるきっかけの一つになりました。

ワイナリーも増えました。

国税庁の令和7年調査では、果実酒製造免許を持つ800場のうち、試験免許やワインの製造・移出実績がない製造場を除いた519場がワイン製造業の実態調査の対象となっています。

もちろん、日本ワインの品質が向上した理由を、消費文化の広がりだけで説明することはできません。

ぶどう栽培や醸造技術の進歩、設備、人材、海外との交流、新しい産地の開拓など、さまざまな積み重ねがあります。

それでも、ワインを飲む人が増え、さまざまなワインを知り、より良いワインを求める市場が育ったことも、日本でワイン産業が発展していく土台の一つになったと考えることはできそうです。

明治時代、日本ではワインを造り始めても、それを日常的に飲む文化はまだありませんでした。

それから100年以上。

甘味葡萄酒から始まり、飲みやすい輸入ワイン、千円ワイン、ボジョレー・ヌーヴォー、料理と楽しむワイン、赤ワイン、ニューワールド、そして多様な産地や造り手へ。

飲む側にもワイン文化が育ち、造る側にも技術と経験が積み重なってきました。

その二つの流れが重なった先に、現在の「日本ワイン」があります。

では、いま私たちが使っている「日本ワイン」という言葉は、いつ、どのように現在の意味になったのでしょうか。

次の記事では、「国産ワイン」と呼ばれていた時代から、現在の「日本ワイン」の表示ルールが整うまでをたどります。


参考資料
本記事の日本におけるワイン消費の歴史、甘味葡萄酒、ワインブーム、日本ワインの発展については、主に次の資料を参照しています。


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この記事を書いた人

横浜の酒類販売業免許専門の行政書士。
「桜並木行政書士オフィス」を運営。
20年以上にわたり、ワインインポーターで輸入貿易実務や販促・企画業務などを経験。現場経験と法律の両面からワインビジネスをサポートします。

■保有資格
J.S.A.ソムリエ
WSET® Level 3 Award in Wines

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